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2025年12月
  • 健診結果を放置した私を襲った突然の胸の痛み

    医療

    「脂質異常症ですね。要精密検査です」。数年前、会社の健康診断で、私は初めてその言葉を突きつけられました。結果票には、LDLコレステロールの欄に、基準値を大きく超えた数字と、無機質な「E判定」の文字が並んでいました。しかし、当時三十代半ばだった私は、その警告を、どこか他人事のように捉えていました。自覚症状は全くなく、仕事もプライベートも絶好調。体重は少し増えたけれど、まだまだ若い。酒もタバコもやるし、食事は肉と揚げ物が中心。そんな生活を変える気など、毛頭ありませんでした。「大丈夫、大丈夫」。私は、その結果票を引き出しの奥にしまい込み、すぐにその存在を忘れてしまいました。それが、取り返しのつかない後悔の始まりでした。数年後のある日の午後、重要な会議の最中に、それは突然やってきました。胸の中心が、まるで万力で締め付けられるかのような、経験したことのない激しい圧迫感。冷や汗が全身から噴き出し、呼吸がうまくできません。私は、同僚の驚愕の表情を最後に、意識を失いました。次に私が目を覚ましたのは、病院の集中治療室のベッドの上でした。医師から告げられた病名は、「急性心筋梗塞」。心臓に栄養を送る血管が、動脈硬化で狭くなったところに血栓が詰まり、心臓の筋肉が壊死してしまった、とのことでした。緊急で行われたカテーテル治療で、何とか一命は取り留めたものの、心臓の一部には、永久に消えないダメージが残りました。そして、医師は、私の引き出しの奥で眠っていた、あの健康診断の結果票を見透かすかのように、静かにこう言いました。「原因は、長年放置されてきた、重度の脂質異常症による動脈硬化です」。私は、言葉を失いました。あの時、ほんの少しだけ自分の体に関心を持ち、病院へ行くという、当たり前の行動を起こしていれば。自分の若さと健康を過信し、体からのSOSを無視し続けた、そのあまりにも愚かな代償。退院後も、毎日たくさんの薬を飲み続け、食事や運動にも厳しい制限が課せられました。失われた健康と、心に残る後悔の念。私は、自分の身をもって、知ることになったのです。自覚症状のない病気ほど、恐ろしいものはない、ということを。

  • 私が足底腱膜炎の激痛と戦った話

    医療

    全ての始まりは、健康のためにと、一念発起して始めた、朝のジョギングでした。運動不足だった体に、少しずつ活力が戻ってくるのを感じ、私は走る楽しさに、すっかり夢中になっていました。しかし、その喜びは、長くは続きませんでした。走り始めて一ヶ月ほど経った頃から、朝、ベッドから降りた最初の一歩で、右のかかとに、まるで画鋲を踏んだかのような、鋭い痛みが走るようになったのです。最初は、筋肉痛の一種だろうと、軽く考えていました。しかし、その痛みは、日を追うごとに、より鋭く、より持続的になっていきました。朝の一歩目だけでなく、デスクワークで長時間座った後に、立ち上がった瞬間にも、同じ激痛が襲ってくる。走っている最中も、かかとが地面に着地するたびに、鈍い痛みが響く。私の足は、いつしか、時限爆弾のような、不安定な存在になっていました。それでも、「走るのをやめたら、また元の運動不足の自分に戻ってしまう」という恐怖から、私は痛みを我慢し、だましだましジョギングを続けてしまったのです。それが、事態をさらに悪化させる、最悪の選択でした。ある日の朝、私は、もはや歩くことさえままならないほどの、激烈な痛みに襲われ、その場にうずくまってしまいました。ついに観念した私は、近所の整形外科の門を叩きました。レントゲン検査の後、医師から告げられた病名は、「重度の足底腱膜炎」。そして、私の走り方が、足に過剰な負担をかけるフォームであったこと、そして履いていた靴が、クッション性の低い、ランニングには不向きなものであったことを、厳しく指摘されました。その日から、私の治療とリハビリの日々が始まりました。ジョギングは、もちろんドクターストップ。処方された湿布と痛み止め、そして、理学療法士の指導のもと、足の裏やふくらはぎの筋肉を、地道にストレッチし続ける毎日。痛みが完全に消えるまでには、実に三ヶ月以上の時間がかかりました。この苦い経験を通じて私が学んだのは、何事も、やりすぎは禁物であるということ。そして、自分の体を過信せず、小さな痛みというサインに、もっと早く耳を傾けるべきだった、という深い後悔でした。