田中さん(58歳)は、長年、建設現場で働くベテラン作業員です。重い資材を運び、一日中体を動かすのが彼の日常でした。そんな田中さんが、自分の体に異変を感じ始めたのは、半年前のことです。仕事中、右の足の付け根に違和感を覚え、作業着の上から触れてみると、ゴルフボールほどのふくらみがあることに気づきました。力を抜くとふくらみは消えるため、最初は「筋肉痛か何かだろう」と軽く考えていました。しかし、日を追うごとに、重いものを持ち上げた時や、咳をした時に、そのふくらみがはっきりと現れるようになりました。同僚に相談すると、「それ、脱腸じゃないか?俺の親父もなったぞ」と言われ、初めて病気の可能性を意識しました。病院に行くべきだと頭では分かっていても、現場を休むわけにはいかないという責任感と、手術への漠然とした恐怖から、田中さんはしばらくその事実から目を背けていました。痛みをこらえ、ふくらみを気にしながら仕事を続ける日々は、彼にとって大きなストレスでした。そんなある日、現場で足場から降りようとした瞬間、足の付け根にこれまで経験したことのない激痛が走りました。ふくらみは硬く腫れあがり、手で押しても戻りません。冷や汗を流しながら、同僚に付き添われて救急外来へ。医師の診断は「嵌頓性鼠径ヘルニア」。腸がはみ出したまま戻らなくなり、血流が滞っている危険な状態でした。幸い、腸が壊死する前に緊急手術が行われ、田中さんは最悪の事態を免れました。数週間の療養を経て、現場に復帰した田中さんは、同僚たちに自分の経験を語りました。「俺みたいに我慢しちゃダメだ。あのふくらみは、体からのSOSなんだ。もっと早く病院に行っていれば、あんなに痛い思いをしなくて済んだし、周りにも迷惑をかけなかった」と。彼の言葉には、深い後悔と、同じ仕事をする仲間への切実な思いが込められていました。この事例は、脱腸を放置することの危険性と、早期発見・早期治療がいかに重要であるかを、私たちに教えてくれます。